韓国は自由主義圏に入っている先進国だと日本人の皆が思い込んでいました。
しかし最近の青瓦台のリーダーたちの姿勢は、自由主義というよりは【反日】と【容共】の専制国家と呼ぶほうが相応しく変貌を遂げたようです。
目次
昭和初期まで帝国主義・植民地主義は善であった
日本も明治維新を通して、西欧列強に対抗した専制君主国家としての歩みを始めましたが、当時の中国や東南アジア諸国が西欧の植民地と化していた時代背景を考えれば、止むを得ない選択であったと思われます。
中国大陸は英国やロシアを主体とする欧米帝国主義列強に蹂躙されていて、現在の香港も英国が中国とのアヘン戦争に勝利した戦利品として得たものですから、【一国二制度】を反故にしても共産主義中国の主権を主張していることを理解出来なくはないのです。
朝鮮半島も現在のように南北朝鮮国家の母体となる朝鮮民族という概念は存在せずに、各部族があたかも西部開拓時代におけるインディアンが酋長の下にまとまっていたような、お世辞にも文化的とは程遠い環境に置かれていたのでした。
しかし、そんな朝鮮半島の利権を米国やロシアが狙っており、日本も国防の最前線として位置づける勢力争いをしていました。
大韓帝国による身分制度の崩壊
1910年に大韓帝国を日本が併合した【朝鮮併合】は、そのような列強の力関係を背景に、朝鮮民族の大半が望んだ結果でもありました。
もちろん独立志向の過激派と呼ばれる一部の勢力はいつの時代にも存在しますが、当時の朝鮮半島は【両班・中人・常人・賎人(奴婢の最下層は白丁と呼ばれる)】の4つに大別される身分制度に縛られていましたので、日本帝国主義の天皇の下に平等を保障する【朝鮮併合】は、両班以外の大半の庶民に今までの抑圧された生活からの解放を約束しました。
ですから朝鮮独立を唱えた過激派は朝鮮民衆の極一部だけが担っていたので、大韓帝国時代の両班勢力が自分たちの既得権益が失われたことに腹を立てて暴れていたというのが真実です。
【自虐史観】による【平和憲法】で手も足も出せない日本
第二次世界大戦敗戦によって連合国(米国)より【平和憲法】を中心とした【自虐史観】を押し付けられて、日本の進歩派知識人も50年代の反安保護憲闘争を繰り広げて参りました。
中国が国内総生産(GDP)世界第2位に躍り出て、【一帯一路】を唱えて世界制覇の野望の実現に向けて歩み始めました。
共産主義中国は習近平主席の独裁を推し進めて、あたかも習近平王朝のような姿を現出させることになりました。
南沙諸島では自国の領海であると主張して、毎日連続して警備艇を巡回させながら、日本の漁師への妨害活動を活発化させています。
数千年の昔から中国の属国としての歴史を抱えていた朝鮮でも、韓国初代大統領の李承晩が日本の無防備を幸いに、一方的に宣言した【李承晩ライン】に基づいて竹島を不法占拠したまま現在に至っています。
しかし日本政府は【平和憲法】の呪縛に縛られて、【遺憾砲】を発するだけに終えているのです。
もし中国や韓国が更に現実的な侵攻をして来たならば、米軍がいなければ間違い無くお手上げ状態になります。
韓国は建国以来、現在に至るまで自由主義国家では無かった
共産主義中国の香港への態度は「さもありなん」だと思います。
しかし朝鮮半島は反日独立派が政権を担って建国をしたのですが、【反共】の国是から米軍を主体とした連合軍による【軍政】の影響から抜けきれませんでした。
当時の韓国では共産軍に対抗するのに旧日本軍と朝鮮総督府の力を借りなければならず、米軍も朝鮮人に全権力を譲り渡すよりも、【反共】の観点から元敵軍だった旧日本軍の軍事力と行政力に頼った方が都合が良かったのです。
李承晩大統領を始め、朝鮮戦争で英雄として名を馳せた軍人も、大半が旧日本軍の軍籍にありました。
2人の朝鮮戦争の英雄
ここでは2人の韓国英雄を紹介したいと思います。
最初は金 錫源(きん せきげん、キム・ソグォン)で、陸軍士官学校(日本)27期を卒業した彼は、最終階級は大日本帝国陸軍では陸軍大佐、韓国陸軍では陸軍少将を務めております。
朝鮮戦争で追い詰められた韓国軍が海上撤退をした【長沙洞撤収作戦】の時の逸話です。
戦車揚陸艦を派遣した金錫源は砲兵隊に対して、残った砲弾で攪乱射撃を加えるように命じ、また海岸では数台の車両を動員して、あたかも増援部隊が上陸するかのように偽装するため、ヘッドライトを点けて坂道を登り、降りるときは消してを繰り返して何度も往復するように命じた。8月16日夜から17日朝にかけて将兵9000人(負傷者125人)、警察隊1200人、地方公務員や労務者、避難民等の1000人余、及び一切の車両や需品を積み終え、仔牛までも乗船させて離岸した(長沙洞撤収作戦)。金は一兵も残すことなく、困難な海上撤退を成功させた。マッカーサーは空軍大佐1人と少佐1人を送り、無事故で撤収作戦を成功させた金錫源に賞賛を与えた。
参照元:フリー百科事典ウィキペディアより
韓国の【ダンケルク】と言えるのではないでしょうか。
彼は現在【親日反民族行為者】に認定されて名誉を奪われています。
勇猛な韓国第1師団長の白 善燁がソウルを奪還
もう一人は白 善燁(ペク・ソニョプ)で満州国軍官学校卒業(9期)して、第二次世界大戦を満州国軍中尉として終戦を迎えました。
その後、韓国軍の前身である南朝鮮国防警備隊に入隊し、中尉に任官された後、釜山にて第5連隊の創設に従事して連隊長となり中佐を任官しました。
朝鮮戦争時の【多富洞の戦い】では、北朝鮮軍3個師団に対して不退転の陣地を築き、アメリカ第27連隊と共同戦線をはったのです。
その時、韓国軍は連日の損害を避難民や学生等のアマチュアの兵隊達であったため厳しい局面に立たされていました。
白 善燁は兵士達に訓示を与え、みずから先頭を切って突撃を行い戦況を挽回することになり、これが朝鮮戦争中に師団長が突撃をした唯一の場面と言われております。
連日連夜の激闘は誠にご苦労で感謝の言葉もない。よく今まで頑張ってくれた。だがここで我々が負ければ、我々は祖国を失うことになるのだ。我々が多富洞を失えば大邱が持てず、大邱を失えば釜山の失陥は目に見えている。そうなればもう我が民族の行くべき所はない。だから今、祖国の存亡が多富洞の成否に掛かっているのだ。我々にはもう退がる所はないのだ。だから死んでもここを守らなければならないのだ。しかも、はるばる地球の裏側から我々を助けに来てくれた米軍が、我々を信じて谷底で戦っているではないか。信頼してくれている友軍を裏切ることが韓国人にできようか。いまから私が先頭に立って突撃し陣地を奪回する。貴官らは私の後ろに続け。もし私が退がるようなことがあれば、誰でも私を撃て。さあ行こう! 最終弾とともに突入するのだ
— 白善燁、1950年8月21日
その後転戦を重ね、1951年3月中旬には韓国第1師団が共産主義陣営からソウルを奪還することに成功、1953年1月31日、32歳で韓国陸軍初の大将に昇進しました。
米軍により「ホワイティ」のニックネームを付けられた彼は軍人として敬愛されていたのです。
消される建国英雄の足跡
韓国の現代は彼らの親日派の面々によって築かれたと言っても過言では無いのですが、どういうわけか民主化したはずの青瓦台では2005年に【親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法】が制定されて、【親日派リスト】に掲載された合計5,207人が財産没収の被害を被ることになりました。
彼らが言う【日帝強占期】とは1910年から1945までの35年間に及びますので、政治・経済・文化の全てに亘り、普通の人間ならば環境として受け入れて学業に励み、立身出世を目指したでしょう。
当然に全ての分野で活躍したのは【親日派リスト】に掲載された方々になるわけです。
白 善燁氏が最近死去したおりに、韓国建国の英雄として死後国立ソウル顕忠院に埋葬することになっていましたが、文在寅大統領は白氏が親日派として問題視されていたとして、大田顕忠院に埋葬されました。
国が白将軍を冷遇していると主張する保守系市民団体は、自主的に光化門広場に「市民焼香所」を設置して、英雄の死去を悼んでおります。
一方、セクハラ疑惑で自殺したソウル市長の葬儀には史上初のソウル市葬として営まれています。
北朝鮮の英雄を賞賛する文在寅大統領
このように国を貶めることを平気でする文在寅大統領は、2019年6月6日に北朝鮮の政治家である金 元鳳(キム・ウォンボン)を朝鮮戦争の犠牲者を追悼する「顕忠日追悼式」で賞賛したのです。
朝鮮戦争では韓国を相手に果敢に戦い、金日成から最高位の勲章まで受けた金 元鳳は韓国にとっては仇敵のはずですが、よりによって北の英雄の方が韓国の英雄よりも文在寅にとっては余程大事な人物に見えたようです。
韓国の建国以来、着々と進む【反日国是】による【旧弊打破】の政策の背景には主体思想に基づいた反日思想があり、共産主義か自由主義か、あるいは帝国主義か民主主義か、という二者択一では定義づけ出来ません。
米国による押し付けられた民主主義は建国の時点から機能しておらずに、独裁国家から民主化した青瓦台だったのですが、いずれの政権でも反日政策が当然のこととされました。
故に朝鮮戦争での建国の英雄は抹殺されて、かつての敵である北朝鮮と南北統一を共有するためか、同じ歴史認識をとったのです。
東西ドイツの統一では旧東側の共産主義者への報復は抑えられて、行政運営も機能させましたが、朝鮮半島では【千年の恨み】を脱することが出来ずにおります。
【恨(はん)】に凝り固まった韓国の民主主義はどこを目指すのでしょうか?
株式トレード取引銘柄の状況
7月20日(月)の取引銘柄のチャート図と配置表は下記の通りです。
AOI TYO HDは短い下ヒゲをつけた「陰の寄り付き坊主(中陰線)」を作り続落した。
7月9日建値401円の売建玉100株を390円で指値返済を入れておいたら約定した。
これで売建玉が建値390円で400株が残り、売4-3買の売優勢となり、売勢力を少し縮小した。
このローソク足は強い失望感と共に下落一服を暗示している。
出来高は104300株と先週末より漸増している。
当日の配置表推移
*日経平均株価 22717.48 21.06
7月20日 | 月 | 3975 | AOI TYO HD | 前日終値 | 401 |
日付 | 約定株価 | 状態 | 差益 | 当日指値 | 390 |
———- | 1017 | 〇* | -3135 | 500株 | 現物株とりまとめ |
5月28日 | 503 | 〇 | -113 | 100株 | |
6月17日 | 475 | 〇 | -85 | 100株 | |
7月9日 | 401 | × | 11 | 100株 | 指値返済買決済約定 |
7月9日 | 401 | 〇 | -11 | 100株 | |
7月10日 | 390 | × | 0 | 300株 | |
7月13日 | 390 | × | 0 | 100株 | |
7月損益 | 13800 | 含み損益 | -333300 | 売5ー 8買 |
⇩ ⇩ ⇩
7月20日 | 月 | 3975 | AOI TYO HD | 前日終値 | 401 |
日付 | 約定株価 | 状態 | 差益 | 当日終値 | 394 |
———- | 1017 | 〇* | -3115 | 500株 | 現物株とりまとめ |
5月28日 | 503 | 〇 | -109 | 100株 | |
6月17日 | 475 | 〇 | -81 | 100株 | |
7月9日 | 401 | 〇 | -7 | 100株 | |
7月10日 | 390 | × | -12 | 300株 | |
7月13日 | 390 | × | -4 | 100株 | |
7月損益 | 14900 | 含み損益 | -332800 | 売4ー 8買 |
2020年度損益計
AOI TYO HD | -14000 |
配置表の見方を各用語毎に説明しておきます。
上表の一番左側が約定した日とその時の株価です。
状態の×は売建玉、〇は買建玉、〇*は現物株建玉の印で100株単位になっています。
次の差益は当日終値からの差益になっています。
7月損益は当月の差益です。含み損益は残建玉の損益計でマイナスが損になっています。